『夜の神話』
- たつみや 章 作 かなり泰三 絵 講談社1993年
ここに出てくる主人公マサミチは、現代社会が産み出した子どもそのものだ。彼にとって友人とは競争相手であり、価値の基準は勉強の優劣にあり、人生の目的は良い大学を出て、良い企業に入り、より快適な生活を送ることにある。小学校6年生のマサミチにはまだ挫折や迷いはない。エリートへの道をひた走る真っ只中にあった。そんな折、突然彼は母と共に母の田舎への引越しを余儀なくされる。その理由を彼には説明されなかったから不満は募るばかりだ。彼は田舎のすべてを拒む。同級生も先生も村の生活も見下し、町の賑やかさや便利さに心を残し、自分が取り残されたように焦りを感じる。そんな悶々とした夏休みが始まろうとする日、森のお宮で不思議な美しさを持つ青年と出会う。彼は人ではなく、月の神である「ツクヨミ」であった。
ここから、ファンタジーは始まるのだが、テーマとなるのは人間の科学技術への過信と欺瞞だ。ここでは、原子力発電所の放射能漏れという事件が起こる。昨年実際に起こった事件だけに真実味があり、身近に起こりうるものとして緊迫感がある。現実は誰の救いもなく人的事故として大きな被害を出し、死者まででてしまったのであるが、これはファンタジーの世界であるから、そこには救いの手が差しのべられる。救ってくれるのは、私達の傍でずっと息づき太古から尊ばれ大切にされてきたが今は忘れ去られようとしている「精霊」や「神々」だ。ここでいう神はGODではない。私達より先に存在し、私達の生活を見守り、私達と交信していた神々だ。その神々が今の私達をどのようにみているかをここで語る。私達は物を所有することによって文化的な生活を送るようになった。けれども其れと引き換えに失ったものがあるのではないか。自然への恐れや畏敬の念。人としての謙虚さ。いつの間にか人間は人間だけのことを考え、「地上の多くの生命体の中の一つである」という意識を失っているのではないかと訴える。自然と接し、自然の声を聞きながら生きることが「豊かな生き方」ではないかと問い掛ける。
マサミチは彼らを知ることによって、自分の身勝手さに気付く。そして、人間という大きな枠の中で自分がどう生きなければならないかを考え始める。
たつみや章の作品は美的で映像的なものが多い。作品を読みながらそれがそのまま、―登場人物の行動・しぐさまでもが― 頭の中で描写できるようにストーリーが展開される。文章も軽快で、感性や感覚に訴えるように進み、堅苦しさがないので若い読者には読みやすく共感を呼びやすい。といって内容が軽いわけではない。主張したいことをしっかり押さえながら、如何にすれば読者をひきつけられるかを考えている。この作品も筆者の確固たるメッセージが核となり、幻想的な夢物語が語られているといえよう。
文責 ゆうざん 2000年1月
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