『月の影 影の海』上・下 十二国記
- 小野 不由美 講談社X文庫
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十二国記のシリーズ第一弾。
陽子はごく普通の高校生だった。親や教師に従順で、友達にも優柔不断。人と違う所はその髪の色だけ。そんな平凡な陽子の前に突然異様な
風体をした男が現れ、彼女の前に額づく。ケイキと名乗るその男は、陽子を主と呼び、地図にない国―異界―へと連れ去る。見知らぬ世界に
放り出された陽子は、元の世界に戻るために、その鍵を握るケイキを探し出す旅を始める。
十二国記というのは、神仙・麒麟・妖魔・半獣・人・様々な生き物が混在する不思議な世界の有り様を描いた作品であるが、特にこの巻の根
底を支えているのは、「人が“生きる”とはどういうことか。“自分の生き方”とはなんなのか。」ということではないだろうか。
陽子は元の世界にいた時、対立を好まず人の顔色を窺って生きていた。そんな自分に疑問さえ抱いていなかった。女は控えめで目立たないこ
とが一番だと言う父母の言葉に従っていた。しかし、異界の生きるか死ぬかという瀬戸際でそのような考え方は通用しない。生きるためには女であれ、強く逞しくてはならない。強靭で
なければならない。人の助けを待つことは死を意味する。陽子のうわべだけの価値観は見事に覆され、価値の基準は自分の身を守ることのみ
におかれる。“生き延びる”という極限に晒され、陽子の心に潜む獰猛さやエゴが目を覚まし出す。自分の弱さや醜さが曝け出される。彼女
に寄り添う蒼猿がその心を読み、いっそう迷わせていく。蒼猿という媒体を通して、陽子は自己と対峙し“陽子という人間”すべてを曝け出す
。人を信じなくなった陽子の前に楽俊が現れる。彼は人に見返りを求めない。自分の信じたことを行動に移す。陽子は混乱の中から楽俊の中に
一つの生き方を見出す。そして、もう一度自分を見つめ直し、真の価値基準を築き出していく。今までの自分は怠惰にすぎなかったのだと、求
められるのは、他人というフィルターを通してではなく、自らの意思のみで決定できる自分なのだと陽子は気付き始める。
生死という極限状態を背景に、筆者は読み手を高揚感を伴って、ぐいぐいと引張っていく。終盤になって、陽子が此処へ連れて来られた理由が
解き明かされていく。それは、彼女が“王”であるからだった。ここで、読み手は再び釘付けとなる。自分の存在それ自体に価値のある世界が
そこに展開されるからだ。求められた存在としての陽子に読み手は自らを重ねあわさずに入られない。
また、この作品には、現実とは異なる世界観を披瀝する面白さがある。
筆者は、物事の概念や価値観を巧妙にずらせた異世界を丁寧に描写し、説明する。そこには、読み手のもっている願望を投影したような設定が
散りばめられ、それが一層共感を呼ぶ。“子どもは木から産まれたらいいのに、なぜ親子は似ているんだろう、動物も話をすればいいのに、”
自分がふっと思ったような疑問が当然のように肯定されていて、思わずクスリとする場面に出会う。難解な漢字を多用し、中国の古典的な服装
をした世界の有り様にさえ違和感を感じない。神を頂点とした世の理も至極明瞭だ。
十二国記という作品は異世界が持ちうるスリルと不可思議の醍醐味を十分に味あわせ、読み手を酔わせてくれる作品といえる。
―陽子のように―、“何処かに私の存在を欲している世界があるかもしれない。誰かが私を迎えにきてくれるかもしれない。” みなぎる力と
行動力を持つ自分、特別な存在としての自分。ままならぬ現実を飛び越えた未知の世界。私たちが平凡であるゆえに憧れてやまない要素がそこ
にはぎっしりと詰まっている。
文責 ゆうざん 2002年3月
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