『ジーク 月のしずく 日のしずく』
- 斉藤 洋:作 小澤 摩純:絵 偕成社 1992年 小学校高学年から
ジークは、オオカミ猟師である父親アレスと森に住んでいた。アレスとの生活は穏やかな日々であった。剣と弓の使い方を習い、オオカミ猟師の後継ぎとなるようジークは、日々励んでいた。ところが、ジークが15歳の時に父アレスは、病死をしたしまった。そんなジークに、幼馴染のパルから誘いがあった。パル宅に遊びに行くと、そこであかされた事は、国王の前で剣の試合をしてほしいとのことだった。それも真剣で・・・・。
この物語はファンタジーではあるけれど、どこか遠い昔に、このような事があったような錯覚をおこしてしまう。
風習、習慣、しきたりが人の命をおびやかすこともあるとする。でも人はそれらに従い、守ることが、人としての生き方として正しいことと思っていた。それは、その事によって多少の犠牲も仕方がないと思っていた。科学が発達していない時代には、天災、病気、災い事は神の怒りと受けとめ、それを払いのけるのには「生け贄」もありと考えられていた。
現代でそれを、推し量ることはともかくとして、そのことを「おかしい」と感じる人もいてほしいと願ってしまう。ジークの存在はそんな時の救世主であった。人里はなれた所に生活をし、人の思惑に余り縛られることなく暮していると、自由にものが考えられるのだろうか? それに彼には、納得できないものに対しては「戦う」強さがあった。
4年に一度に「大魔アーギス」に「生け贄」を差し出すことは、ジークには納得いかないものだった。ジークの両親は、人と信頼しあうなかで、相手を受け入れ、許しあい、納得のいかないしきたりなどを打ち破る力があった。その力を両親から授かったのか、ジークは「大魔アーギス」にたちむかうのである。だがその習慣とかしきたりを考え直したり、立ち止まったりするのは、勇気がいることだった。そんな勇気も時には必要なんだと、私達に訴えているように思えるのである。
だがそんなジークにも弱点はあった。剣の試合の時に相手の命をおもうばかり、兵士の「誇り」を傷つけてしまった。完璧でない人間を描くことによって、より一層、ジークを身近に感じるのである。
歯切れの良い、わかりやすいストーリー、読み終わった後にさわやかさが心をしめる。だからこそ、多くの子ども達に支持されるのだろう。この頃、ファンタジーというとどうも大人向けが多いなか、これは子どもが入りやすい物語である。尚、『ジーク U』がでているので、合わせて読んでいただければと思う。9年ぶりのジークの活躍は健在である。
文責 ピピン 2002年4月
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