『砦』  

 モリー・ハンター 作  田中 明子 訳    評論社 1981年

 時代は紀元前1世紀中ごろ、スコットランドのオークニー諸島の一つの島。キリスト教支配前のこの国では、各部族に分かれ暮らしている。各部族には独自のしきたりがあり、崇めている動物は其々異なるが、それを統一する信仰は同じだ。どの国の原始信仰にも共通するが、複数の神を崇める。それらの神々と人の間に立つのがドルイドという特別な力を持つ祭司である。
 この部分がわかったとき、イギリスにもこういう時代があったのかと思わず心が躍る思いがする。そして、多くの神々が住む古代の世界へ一気に読み手をいざなう。これがイギリスであることを忘れてしまうほどに。 
 堅苦しい文体、修辞の多い長い一文。読み慣れるには少し時間を要する。にもかかわらず、この作品に惹かれるのは筆者のブロッホへの深い想いが投影されているからといえる。"世界中何処にもこれに似たものがなく、先例もないこのブロッホを創り出した人物とは?"という神秘性に筆者同様惹きつけられるのである。" どんな人物による着想なのか、どういう過程で建設されたのか"、読み手のそんな想いに答えるように、モリー・ハンターは一つの物語を紡ぎだす。 

 これは、対ローマのための砦建設のものがたりではあるが、その実、この島における祭司ドルナムと族長ネクタンとの"権力の対立"のものがたりである。そこに新しく族長になろうとする狡猾なタランが加わり、両者の溝は深まるばかりとなる。
 ここで、モリー・ハンターは主人公として片足が不自由な若者"コル"を登場させる。武勇が尊ばれ、肉体的資質が最上とされる部族社会の中で、彼の占める位置は低い。彼の身体的欠陥は直、"能力の欠陥"と見なされ、部族の一人前の男とは認めてもらえない。その不足を補うかのように育まれていった彼の深い知恵はこの社会では通用しない。そのもどかしさと欠損のためのあきらめが心中を交錯するなか、ネクタンの娘ファンドが生贄に選ばれるという窮地に追い込まれる。神の神託が絶対の力を持つ部族社会の中で、この決定は避けられない。しかし、コルは自分自身の危険を顧みず、ひたむきな行動力と知恵を武器に敢然と立ち向かっていく。彼の燃えるような情熱は、ドルイドとなった弟ブラン、友人ニアルの心を動かす。ブランの死という痛ましい犠牲はあったが(しかしその死は、宗教的にしっかり位置付けられ)、ファンドを助けたコルは、"砦"を完成させることによって祭司と族長の対立を、協調へと変えていく。人々は、肉体的資質が劣ろうとも、人はその叡智と勇気によって部族をまとめることが出来ることを認める。彼らは最後に、他の部族をも守る為に一丸となってローマに立ち向かい、勝利する。
 これは、コル自身の精神的成長の物語だけではなく、部族社会自体の成長の物語といえる。彼らがこの砦の建設に加わるということは、今までの既成の概念(肉体的資質重視)を取り払い、知力という新しい価値観を受け入れたということに他ならない。ブロッホは、社会全体が価値の転換を図り、変容していった証なのである。それゆえに、ブロッホはその大きな存在感をもって、今なお人を惹き付けてやまないのである。筆者の想いはそのようにものがたりを綴り終える。  

 この作品を支えているのは、人々の間に深く根付く神々への信仰のあり方と死生観であるといえる。彼らの宗教観を縦軸にして、祭司と族長の対立を横軸に、壮大な砦を築き上げた"いのしし部族"の存在を巧みに浮き上がらせる。原始的ゆえに神秘的であるミニマムな社会の構成をここに見ることが出来る。"かれらは多分このようにして暮らしていたのだろう"と。読み手は、"もしかして、砦は本当にこのようにして築き上げられたのかもしれない"と遥か昔に想像を馳せる。
 語り継がれなかった歴史の断片から、さまざまなものがたりが繰り広げられる。その想像の世界は、甘美な神秘性を持って読み手の前に現れる。また、登場人物の性格描写や関り方において、普遍的な人間の精神性の高さを考えさせられた作品であることも忘れてはならない。

 文責 ゆうざん  2001年5月



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