『ゴースト・ドラム 』≪北の魔法の物語≫  

  スーザン・プライス 作  金原 瑞人 訳   福武書店 1991年 (1987年イギリス)



 ☆ 1987年イギリス・カーネギー賞受賞作
 これは、一年の半分が冷たく暗い冬であり、人々は雪に閉ざされひっそりと暮らしている北の国の物語 である。ストーリーを進めてくれる語り部はカシの木に金の鎖でつながれた一匹の猫。猫はカシの木を ぐるぐる回りながら、この国の人々の暮らし振りを、皇帝ギドンとその妹の非道を、魔法使いチンギス の成長を、皇子サファの孤独で不幸な生い立ちを、氷のりんごを摘み取る魔法使いクズマのことを語る。
 物語は、其々が独立して独特の雰囲気を放ち、閉じ込められた魔法の世界の出来事を神秘的な言葉で紡い でいく。語り部は自在にその場面を展開し、物語は何時の間にかひとつの物語へと融合されていく。
 チンギスは、王宮からサファを救い出すが、女帝となったマーガレッタは自分の地位の安定の為、サファ を亡きものにせんとする。クズマも同様チンギスを亡きものにせんと企み、女帝と組んでチンギスを死の 国へ追いやる。死の国から這い上がってきたチンギスは、魔法の言葉と音楽で戦に挑む。

 表紙カーバーには、「荒涼とした北の国を舞台に繰り広げられる、荒々しい魔法の物語」(引用)という解 説がついている。又、訳者金原瑞人氏は、あとがきで「死と血と嫉妬と復讐と愛の物語」と評している。 この二つの解説を読んだだけで、読み手はこの物語が単に夢を見るような甘く楽しい、あるいは勇気や愛 の肯定を詠うファンタジーではないことが解るだろう。冒頭から、奴隷の過酷な生活を描き、生まれたば かりの娘を魔法使いに託すか、奴隷として生きるかの選択をその母親に迫る。「女はみじめな一生を送り ながら、死ぬまで老婆のことをわすれなかった。そして、どうかあれが夢ではありませんように、と願っ ていた。」(文中より引用)という言葉でプロローグが閉じられる。この一文に"民衆の切実な想い"が深く 込められているといえよう。勇気や生きることの意義を伝えるファンタジーは数多くあるが、これほど生 の痛みや哀しみを描くファンタジーは少ないのではないだろうか。
 筆者は庶民に対してこのような暖かい 眼差しを向けながらも、また"世の中とはこんなものだ"という諦観をこの中で匂わせる。この物語は、 ファンタジーというヴェールに包みながらも、読み手に不条理な現実の断面を垣間見させる。けして希望 的観測や期待を語らない。シニカルで醒めた目で世の中を見つめる。ラストにおいて、女帝が滅ぼされて もまた、新たな権力者が民衆を搾取する。庶民も自分の保身のために右往左往する。女帝やクズマの魂も 清く改まるわけではない。
 "何もかわりはしない"と筆者は言う。けれどもそれを批判している訳ではない。 悲壮感もそこにはない。それは、筆者はこの世界の中で世の中の不条理と人間の弱さを見つめたかったからだろう。 それを肯定したかったのだろう。

 そして、この辛口の物語を、暖かく彩っているのが自然と一体になった「原始的な魔法の世界観」である。 ここには、インデアンやイヌイットの伝承を想起させる魔法の捉え方がある。チンギスは言葉を駆使する ことによって人々に魔法をかける。言葉は真実を覆い隠し、人々に"思い込ませる"ことが出来る。言葉そ のものが魔法なのだ。文字も音楽もそうである。つまり私達の身近に魔法が存在するのだ。 "チンギスほ どに魔法に通じてはいなくても、私達はその力を持っている。そして権力者ほどそれを巧妙に使い、人々 に虚偽を信じ込ませているのだ。"と、私達は気付く。皇帝ギネスや女帝マーガレッタがそうであるように。この魔法そのものの面白さに思わず魅了される。
 また、"鶏の足のついた家"や"魔法の太鼓"の発想の面白さのみならず、読み手の想像力を掻き立てる描写が 随所にちりばめられている。全身を青で包んだ女帝、沈黙の王宮、丸天井の小部屋とらせん階段、冬の閉ざ された村や森、物言わぬ幽霊、氷のりんご等等。その幻想的な世界に思わず惹き込まれる。
 そして、最後に欠かせないのがチンギスの力強さである。彼女の何者にも屈しない精神と正義感は、読み手 を圧倒する。彼女の体から迸る魔法はその心の在り方の反映といえよう。

 この物語は、過酷な北欧の自然と折り合いながら生きてきた人々ゆえに持ちうる、“人間の弱さの肯定” を基盤にもつ。 それゆえに一層自然の中の神秘性を大切にしてきたのであろう。チンギスような力強い魔法使いの存在 を確信してきたのであろう。ここに、自然に対するの人間の謙虚な姿を見る思いがする。この自然との共存 感が作品の根底を支え、作品の奥行きを深めているといえる。
 この作品は、一見ペシミズムな作品と捉えがちであるが、筆者はチンギスの中にしっかりと夢と希望と託し ているといえるのではないだろうか。だからこそ、読後に存分な充実感がもたらされるのだと私は思う。

 文責 ゆうざん  2000年12月




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